大嘗祭ニ関スル所感 −柳田國男−

 

大嘗祭ニ関スル所感
 

 

 

大正四年(1915年・四十歳)八月十三日、内閣書記官長であった柳田國男は、十一月に京都で行われる大正天皇の御大礼(即位式は十一月十日、大嘗祭は同十四日)の大礼使事務官に任ぜられ、典儀部に配属された。典儀部とは奈良時代より続く律令制における、朝賀・即位などの大礼に際して臨時に任ぜられ、儀式をつかさどる職である。

 

岡谷公二著「貴族院書記官長柳田国男」には「夏から秋にかけて、国男は、頻々として京都へ出張を命じられた。彼は、この任務に情熱を注いだ。」、「大礼使官中最も古典的な考えを持ってゐるのは、柳田貴族院書記長で却々(なかなか)形式が八釜(やかま)しく、仲間内では鬼門々々と称している。御大礼のやうなことは何処までも形式を重んじてやれば自と荘厳の感も湧くといふのが柳田君の意見で・・・」(「東京朝日新聞」十一月十五付)と周囲にけむたがられるほど、大礼の儀礼について、こまかく指示をだしたようである。

 

この「大嘗祭ニ関スル所感」を彼が書いた意図は、本文にある「蓋し前代に於ては此祭は国家最重要の式典にして人民の帰趨を明かにし信仰の統一する上に於て一国の生命は懸りて此祭の完成に在りと云ふも決して過当にあらす。從て 至尊は申すも更なり之に与る諸員は殆と心身の全部を捧けて胆擦覆覿侈海妨圓靴燭襪發痢廚北世蕕だ。「我が国の生命は懸りて此祭の完成に在り」とは柳田自身の確信でもあった。

 

この柳田の確信は独り柳田だけの確信ではない。我が国は文字のない時代から今日に至るまで、「神と人と自然」が有機的に結び合い一つの生命をなす(=産霊)国柄である。このことを、二千六百七十七年の間、連綿として世々代々受け継ぎ伝え続けてきた。大嘗祭とは、この「神(=天照大御神)と人(=肉体的生命としての天皇)と自然(=稲)」が一つとなる儀式に他ならない。 天皇が現人神である所以はここにある。我が国の國體を身をもって具現化されているのである。我が国の先哲らが到達した人生の確信も、日本国への確信も、用いた言葉は違っても、「我が国は神と人と自然が一体である国である」に立脚するところの確信である。

 

本居宣長の「しきしまのやまと心を人とはば、朝日ににほふ山ざくらばな」(敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花)も、北畠親房の「大日本者神國也。」(おおやまとはかみのくになり)も、藤田東湖の「正氣歌」(天地正大の氣、粹然として神州に鍾る)も皆「神と人と自然」が一つの生命をなす我が國體に対する絶対の確信なのである。

 

この確信、そして「我が国の生命は懸りて此祭の完成に在り」の覚悟から見た時に、大正の大嘗祭は見逃してはならない点があったのである。柳田は「大嘗祭ニ関スル所感」を山県有朋に建議するつもりでいたと言われる。だが、提出されることはなく、公表されたのも柳田の死後である。

 

小生はこの「大嘗祭ニ関スル所感」に日本人たる我々が必ず頭に置いておかなくてはならぬものを痛感した。大嘗祭とは何かを考える者の一人としてこれを江湖に紹介し、更に私自身考察を重ねたいと思う。「大嘗祭ニ関スル所感」の紹介はその第1回目である。


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柳田國男 【明治8年(1875年)7月31日 出生- 昭和37年(1962年)8月8日死亡】は民俗学の創始者である。彼の学問の目的は幸いにも当時の日本に未だ残されていた民族の風習や言い伝えを残して、「日本とは何か」を自分自身と後世の人間が、「日本とは何か」を明らかにする縁(よすが)となすことだ。それは「在来の史学の方針に則り、今ある文書の限りによって郷土の過去を知ろうとすれば、最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無歴史となり、我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、印象を与へずんば止まぬこととなるであろう」『郷土生活の研究法』(1935年)の言葉から明確である。この「大嘗祭ニ関スル所感」も真実の大嘗祭の実現を通して「日本とは何か」を明らかにするための提言であったことは言うまでもあるまい。

 

柳田國男 【明治8年(1875年)7月31日 出生- 昭和37年(1962年)8月8日死亡】

 

 

 

 

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大嘗祭ニ関スル所感(原文)

 

 

今囘ノ御大典ノ儀制ヲ以テ今後永世ノ例トセラルゝ場合ハ勿論將來或ハ之カ改訂ヲ企テラルゝ場合ニ於テハ小官ノ如キ地位ニ在テ感シ且ツ疑ヒタル事項ヲ存録スルコトハ必ス有益ナルヘシト信シ衷心ヲ吐露シテ後ノ當局ノ用ニ供セムトス固ヨリ言論ノ責任ヲ辭スルモノニアラサルモ又徒ニ義論ヲ闘サムトスルモノニアラサルヲ以テ相成ルヘクハ祕封シテ後年ニ傅ヘラレムコトヲ希望ス
 

御卽位禮及ヒ大嘗會ハ舊都ニ於テ擧行セラルゝコトハ 先帝陛下ノ深キ思召ニ出テタル儀トハ拜祭スルモ若シ周到ナル攷究ヲ逐ケムト欲スル場合ニハ此點モ亦問題ノ中ニ入レテ考へサルヘカラス殊ニ御卽位禮ト大嘗祭トヲ同シ秋冬ノ交ニ引續キテ行ハセラルゝト云フ點ハ頗ル考慮ノ餘地アル所ナリトス若シ登極令草案理由書ノ記スカ如ク經費ヲ節約スルカ其ノ理由ノ一ナリシトスレハ推理上兩式執レカヲ新都東京ニ於テ擧ケラルゝノ可ナルヲ見ルニ至ルナキヲ保セス歴朝ノ前例ヲ見ルニ卽位禮ト大嘗會ノトキトノ間隔カ現制度ノ如ク接近セルモノヲ見ス蓋シ是ニハ十分ナル理由ノアルコトニテ卽位禮ハ中古外國ノ文物ヲ輸入セラレタル後新ニ制定セラレタル言ハゝ國威顯揚ノ國際的儀式ナルニ反シテ御世始ノ大嘗祭ニ至テハ國民全體ノ信仰ニ深キ根柢ヲ有スルモノニシテ世中カ新シクナルト共ニ愈其ノ齋忌ヲ嚴重ニスル必要ノアルモノナルカ故ニ華々シキ卽位禮ノ儀式ヲ擧ケ民心ノ興奮未タ去ラサル期節ニ此ノ如ク幽玄ナル儀式ヲ執行スルコトハ不適當ナリト解セラレタル爲ナルヘシト信ス
 

國家ノ進運カ今日ノ如ク著シキ時代ニハ卽位禮ノ壮麗偉大人目ヲ驚スヘキモノアルコトハ固ヨリ当然ノ儀ニシテ小官ノ如キハ臣子ノ分トシテ今後百千年ノ後愈〻益〻此ノ儀式ノ盛大ニシテ有ラユル文明ノ華麗ヲ盡サムコトヲ望ミテ已マサルモ之ニ引續キテ略〻相似タル精奪魄淵涜萋鵐旅好暴殿腑淵觝彭汽鮗更團札薀襦汽灰肇腕泥北詰冖輝廛髪哨侫忙潺薀弘織鷲埖ノ惡結果アラムコトヲ恐ルゝナリ
 

大嘗祭ハ古來舊暦ノ十一月卽チ仲冬ノ候ヲ以テ其ノ期節トセラレタルカ是モ日本ノ傳來ノ信仰ト関係ノアルコトナリ此祭ノ爲ニ設ケラルゝ假宮ハ如何ニ優美ナル風習ノ浸染シタル朝廷ニ於テモ徹底的ニ古式ヲ保存シ一切ノ裝飾ヲ去リ素樸簡古ヲ極メタリシ所以ノモノハ決シテ儒者ノ説クカ如キ 陛下ノ謙徳ヲ養ヒ奉ルト云フカ如キ單純ナル理由ニアラスシテ此祭本來ノ趣旨ニ伴フ一箇重大ナル要件アリシ爲メト考ヘラル然ニ今囘ノ如ク之ヲ新暦ノ十一月中ニ行ハルルトスルトキハ先ツ其ノ精奪帆衢謄譽汽諍梁屮鯒Д爛襯良要ヲ生ス例へハ悠紀主基ノ假殿ニ葺クヘキ稻ノ藁ハ其年収穫ノ後取リ得タル清キ藁ヲ用フヘキ筈ナルニ今囘ハ特ニ葺藁用ノ稻ヲ栽培セシメラレ其ノ穀物ノ未タ熟セサルニ先チ之ヲ刈取リ其米ハ無用ノモノトナリタリ此ノ如キハ事小ニシテ經費ノ點ヨリスレハ言フニ足ルモノナシト雖モ苟モ大嘗ト云フ祭ノ精奪茱蠍ルトキハ如何ニモ不隱當ヲ極メタルモノト考ヘラル尤モ是ニハ已ムヲ得サル理由アルコトニテ以前ノ如ク祭ノ前一二日若クハ一晝夜ノ間ニ壇促魑淆ぅ圭ルコトヲ得ルナラハ 或ハ早稻ノ朽藁ヲ使用スルコトヲ得タラムモ齋殿ノ規模前朝ニ此スレハ非常ニ宏大ニシテ又種々ナル設備ノ日子ヲ要スルモノアルカ爲メ到底此ノ如キ短期間ニ竣功スル見込立タサリシカ故ニ已ムコトヲ得スシテ八九月ノ交既ニ大部分ノ工事ヲ終リ清キカ上ニモ清カルヘキ壇促鯆后恒塵ニ暴露セシノミナラス事實ニ於テハ普通ノ草ト同シキ穀物ヲ取ラヌ稻ヲ用フルカ如キ結果トナリシナリ
 

之ニ此レハ事ハ小ナレトモ假宮ニ用ヰラレタル黒木ノ柱ノ如キモ同シク不自然ナル採収ヲナセシ嫌ヒナシトセス今日此ノ如キ雄大ナル壇促忙藩僖札薀襦吉事ナル皮附ノ松或ハ樫等ハ京都附近ノ山國ニ於テモ餘程奥深キ處ニ入ラサレハ之ヲ求ムルコト能ハス而モ木ノ皮ヲ損セサルカ爲ニ鳶口其他ノ木流シ道具ヲ用フルコト能ハス又普通ノ運材方法ニ依リテ山ヨリ谷ヲ下スコト能ハサリシカ故ニ盡ク人ノ肩ニ依リテ嶮阻ヲ輸送スルノ必要アリ當時人民ハ最モ强健ニシテ各潔齋シ浄衣ノ袖ヲ荊ニカケ辛苦シテ恙ナク之ヲ平安ノ地ニマテ輸送シタレトモ之カ爲ニ要セシ勞力及ヒ準備ノ多大ナルコトヲ考フルトキハ亦頗ル前代ノ恆例ニ違ハサリシカヲ氣遣ハレタリ
 

殊ニ青柴垣ニ用ヰラルゝ椎柴葉盤葉椀ニ用ヰラルゝ檞ノ葉ノ如キモ期節尚早々樹液多キカ爲メ至テ凋枯シ易キニモ拘ハラス何レモ準備者ノ責任上十日半月ノ以前ヨリ之ヲ用意シタルカ爲ニ総體ニ於テ清ク新シキ天然物ヲ以テ祭具ヲ調製セラルゝノ趣旨十分ニ徹底セサルヲ認メタリ
 

凡ソ今囘ノ大嘗祭ノ如ク莫大ノ經費ト勞力ヲ給與セラレシコトハ全ク前代未聞ノコトナルニ而モ此ノ如ク心アル者ヲシテ竊ニ眉ヲ顰メシムル如キ結果ヲ生シタル所以ノモノハ其ノ理由固ヨリ一二ナルヘカラスト雖モ主トシテ期節ノ稍早カリシコト殊ニハ此祭ニ參列スル人員餘リニ多クシテ之カ爲メ古例ヲ超過シタル大建築物ヲ要シ而モ之ニ從事スル者専ラ責任ヲ全ウスルニ急ニシテ大祭ノ精奪急造素樸ノ間ニ存セシコトヲ會得セサリシニ因ル
 

此點ハ將來古式ヲ保存セラルゝ上ニ於テ最モ困難ナル問題ニシテ將來ノ當局カ肝膽ヲ碎カルヘキ點ナリト思考ス新暦ノ十一月中旬ト雖モ京都ハ既ニ寒シ大忌ノ幄舎ニハ熱汽暖室ト云フカ如キ前代未聞ノ設備ヲ施サレタルニモ拘ハラス參列者中ニハ寒氣ニ苦シミ病身ヲ理由トシテ半夜ニ退席スルヲ得サリシ者スラアリタリ或ハ病軀ヲ愛護シテ盛典參列ノ光榮ヲ辭シ或ハ忍テ强ヒテ參列シテ病ヲ獲タル者モナキニアラス是等ノ人々ノ多數ヲシテ言ハシムレハ假令青稻ヲ刈リテ屋根ヲ葺キ若クハ人造ノ木ノ葉ヲ用ヰテ祭具トスルモ成ルヘクハ九月以前ニ於テ此祭ヲ行ハレムコトヲ希望スル者ナシト云フヘカラス而モ此ノ如キハ果シテ今日ノ國民慣習ニ緣遠キ三千年ノ古式ヲ强ヒテ行ハルゝ所以ノ理由ナルカ否讀書生ヲ侍タスシテ容易ニ之ヲ否ト云フコトヲ得へキナリ此點ニ付テハ獨リ古書ニ記述スル所ヲ詳讀スルニ止マラス尚ホ其ノ裏面ニ隠レタル國民ノ心意ヲモ推測スルノ必要アリ蓋シ前代ニ於テハ此祭ハ國家最重要ノ式典ニシテ人民ノ歸趨ヲ明カニシ信仰ノ統一スル上ニ於テ一國ノ生命ハ懸リテ此祭ノ完成ニ在リト云フモ決シテ過當ニアラス從テ 至尊ハ申スモ更ナリ之ニ與ル諸員ハ殆ト心身ノ全部ヲ捧ケテ胆札淵覿侈灰妨團轡織襯皀離淵襯故京都十一月ノ深夜殆ト寒帶ニ等シキ氣温ノ下ニ於テ數囘ノ潔齋ヲナシテ其祭ニ仕フルヲ常態ト解セシナリ勿論體力又ハ健康ノ上ニ於テモ古人ハ遙ニ今代人ノ如ク多感ナラサリシナラムモソレヨリモ更ニ强大ナル理由ハ此ノ如キ國家ノ爲メ缺ク可ラサル胆札淵觝彈哀枚丱觴塢陀皀類ニ身ヲ損セラルゝノ恐ナシト云フ確信代々ヨリ固ク其ノ心裡ニ存シタレハナルヘシ之ヲ今日ノ知力ヲ備へタル官吏ニ要望スルハ固ヨリ當ヲ得サルコトナルヘシト雖モ苟モ古典ヲ保存シテ昔ナカラノ炭廛鮃團魯爛肇好觝櫂縫肋クモ當局ニ於テハ之ニ匹敵スヘキ用意アルヲ以テ至當ナリト確信ス
 

之ヲ以テ観レハ今後萬一ニシテ現行ノ儀制ヲ變更セラルヘキ場合アリトセハ大嘗祭ニ関シテ改訂スヘキ點ハ單ニ期日ノミニ止ラス之ニ與ル者ノ用意及ヒ態度ニ付キテモ特ニ攷究セラルルノ必要アルヘシ一言ヲ以テ言へハ此祭ニ與ル者ノ數著シク多キニ過キタリ大官名族ノ數ハ國運ノ進ムト共ニ増加スルハ自然ノ理ニシテ此式ニ列スルヲ以テ單純ナル榮典ト認ムルトキハ權衡上次第ニ參列者ノ數ヲ増加スルニ至ルヘキハ又怪シムヲ要セサレトモ卑見ヲ以テスレハ第一ニ今囘ノ如ク卽位禮ノ盛儀ニ引續キテ之ヲ行フコトナク又此祭ノ主要且ツ至難ナル所以ヲ理會セシムルニ務メタリシナラハ此ノ如キ無用ノ人員ノ爲ニ幾分ナリトモ式典ノ變更又ハ不完全ヲ忍フヲ要セサリシナラム前代ノ大嘗祭ノ記録ヲ見ルニ小忌ノ役ニ任スル者ハ勿論大忌ノ員ニ列スル者ト雖モ極メテ其數ヲ限定シ一般民衆モ各其家ニ在リテ身ヲ浄ウシ大祭ノ滯ナク終了セムコトヲ心禱スルコト誠ニ事ハ小ナリト雖モ村々ノ祭ノ夜氏子ノ者モ家ニ在リテ曉ヲ待チシト同シカリシナリ之ニ與ルコトヲ得サリシカ故ニ恰モ國民ノ特權ヲ奪ハルゝカ如ク解スル者アルニ至テハ抑當初局ニ當ル者審カニ日本ノ古祭式ノ本旨ヲ解説シテ國民ニ教へサリシノ致ス所ナリ
 

忌憚ナク言へハ日本ノ如キ國柄ニ於テハ舊式ヲ完全ニ保存スルハ此上モナク重要ナルコトニハ相違ナキモ此祭ノ如ク古キ信仰ト終始スル複雑ニシテ且ツ困難ナル儀式ヲ繼續スルコトハ小官ハ或ハ其ノ不可能ナラサルカヲ疑フ當時 聖上ニハ大典ノ期日ニ先ツコト半月ニシテ遠ク弘前ノ大演習ニ臨マセラレテ津輕地方ハ雨多ク氣候最モ不良ナルヲ以テ心アル國民ハ竊ニ玉體ノ平安ヲ憂慮シ御一代一度ノ大式典ニ近ツキテ强ヒテ此ノ如キ遠方ノ旅行ヲ奏請シタル陸軍當局ノ無思慮ヲ非難シタル者多カリキ然レトモ飜テ案スルニ日本ノ歴史ニ於テ天子御疾ノ爲メ此祭ノ日ニ合期セラレサリシ例ハ小官等カ未タ學ヒ知ラサル所ニシテ此ノ如キ憂慮ヲ懐クハ寧ロ痴▲療祐ニ對シ疑ヲ挿ムノ結果トナリ國民ノ確信ト一致セサルモノナルヘシ唯之ト同時ニ或者ノ最モ心ヲ痛メタリシ點ハ齋忌ノ風習世ノ進ムト共ニ次第ニ疎ニナリ一般國民ハ勿論小忌ノ衣ヲ被ルヘキ少數ノ者ノ間ニ於テモ祭ノ胆札鯤飮スルニ最モ重要ナル數多ノ條件ヲ守ラス形式ノ整備ヲ以テ唯一ノ目的トシタルカ如キ嫌ナキニ非サリシヲ以テ此ノ如キハ果シテ玉體ヲ安隱ニシ困難ナル祭式ヲ終了セシムルニ足ルモノナルヤ否ヤヲ氣遣フコトヲ免レサリシナリ
 

現行登極令ニ於テハ卽位禮以下ノ諸式盡ク 両陛下ノ臨御ヲ豫想シテ編成セラレタルモノナルニ畏レ多キコトナレドモ 皇后陛下ニハ當時御障リアリテ遂ニ行啓ナク紫宸殿内ノ御帳臺ハ遂ニ空シク其用ヲ為サゝリキ勿論此ノ御障リハ皇室ノ慶事ニシテ何人モ之ヲ遺憾トスル者ナカリシトハ雖此ノ如ク當初ノ豫定カ或ハ變更セラルゝコトアルヲ以テ保守固陋ノ學者ハ之ヲ何モノカノ前徴警示ナルカ如ク感シ如何ニスレハ當局官僚ノ齋忌ヲ正式ニスルコトヲ得へキカヲ考慮シタリ然ルニ京都ハ元來土地狭ク一時ニ此ノ如ク數千ノ參列員ト數寓ノ諸國ノ拜観者ヲ収容スルニ足ラサリシカ故ニ式事者ノ宿舎ノ如キモ不完全ナル點多ク食物寝具其他一切ノ生活ニ於テ到底正規ノ致齋ヲ行フ能ハス恐クハ伊勢探椒煉担嬰カ日々遵守スル程度ニ於テモ潔齋シ能ハサリシカ如シ現ニ小官ノ實見スル所ニ依ルモ大嘗祭ノ前一夜京都ノ市民ハ電燈晝ノ如ク種々ノ假装ヲ爲シテ市街ヲ錬行ク者アリ處々ノ酒樓ハ絃歌ノ聲ヲ絶タス大忌ノ幄舎ニ參列スヘキ諸員ニシテ火ヲ忌マス人ヲ遠ケサルハ勿論獸肉五辛ヲ喰ヒ平然タル者其數少カラス前代ノ慣習ヲ見聞セシ老人等ヲシテ是レ果シテ大嘗祭ノ前夜ナルカヲ疑ハシムルモノアリタリ此ノ如クニシテ何等ノ障礙ナク 聖上陛下ノ御安泰ハ申スモ畏シ式典ノ大小部分ニ至ル迄何等ノ障礙ナク之ヲ遂行シ更ニ翌夜ノ大饗ニ於テ歡ヲ盡スコトヲ得タルハ小官ノ如キ小心ナル者ノ感シニテハ殆ト過分ニ寛大ナル箪ニシテ永遠ニ向ツテ此ノ如キコトヲ豫期スルハ到底不可能ナリト考へシメタリ
 

今若シ大嘗ノ古式ヲ節約シテ單ニ一部ノ形式ヲ永世ニ保持セムトスルナラハ事ハ則チ容易ナリ國民ノ教育アル者ハ假令之ニ依リテ直ニ舊時ノ面目ヲ感得スルコトヲ得ストスルモ能ク聯想ヲ以テ痴▲慮徹侫鮗爛瀉離襯灰肇鯑世悒ヲ以テ多大ノ困難ヲ忍ヒ更ニ 至尊ヲ煩シ奉リテ冬期深夜徹宵ノ御祭ヲ願フニモ及ハサルヘキモ若シ萬一農國本ノ精奪鱶濱ぅ撲ヘ朝家民ニ代リテ天奪鱆リ給フノ義ヲ百姓ニ會得セシメムトスルナラハ獨リ齋忌ノ制度ノミヲ切離シテ不要ニ歸スルノ理由ハアラサルヘシト信ス從テ今日最モ其宜シキヲ得スト考ヘラルゝ點ハ卽位禮ノ盛儀ヲ經テ民心興奮シ如何ナル方法ヲ以テシテモ慶賀ノ意ヲ表示セムトシテ各種ノ祝宴ニ熱中スル際引續キテ大嘗祭ノ如キ厳粛ヲ極メ絶對ノ謹慎ヲ必要トスル祭典ヲ擧ケラルゝト云フ制度ナリ就テハ若シ强ヒテ京都ニ於テ同時ニ二ノ式ヲ行ハセラルゝ必要アラハ先ツ大嘗會ヲ終リ次ニ卽位禮ニ及フトスルカ然ラサレハ卽位禮ハ東京ニ於テ華々シク之ヲ擧行シ或期間ヲ隔テゝ古キ慣例ノ如ク新暦十二月ニ京都ニ於テ此祭ヲ行ハルゝカ或ハ又京都ニ於テハ卽位禮ト其ノ之ニ伴フ祝典ノミヲ擧ケラレ車駕還幸ノ後東都ニ於テ静ニ其年ノ秋ニ祭ヲ行ハルゝカ又或ハ一定ノ期間京都ニ御滯在アリテ民心ノ静マルヲ待チテ此祭ヲ行ハルルカ何レニシテモ今囘ノ如ク混乱ノ内ニ三千年來ノ儀式ヲ終ルカ如キ前例ヲ繰返サレサルコトヲ切望シテ已マス思フニ明治以降制度ノ大變更ヲ經タル後舊儀ヲ復活スルコトハ各種ノ點ニ於テ隱レタル種々ノ困難アルヘク例へハ衣冠ノ使用法ノ如キモ今囘ハ期ニ臨ミテ之ヲ百數十名ノ京都人ニ傳習セラレタルモ幸ニシテ今猶前時代ノ所謂衣紋方ノ口傳ヲ保存スル者アリタレハナリ百年ノ後古老既ニ世ヲ辭シ新人ハ洋風ノ生活ニ慣レ古書ヲ研究スル者漸ク稀ナル時代ニ臨ミ急ニ此ノ如キ準備ヲ企テラルゝモ恐クハ成績ヲ擧クルコト難カルヘシ之ヲ以テ見レハ宮内當局ノ任務ハ平生ニ於テ既ニ至テ重シ此ノ問題ノ如キモ徒ニ感情ノ爲ニ制縛セラレテ平生ノ攷究ヲ怠ルトキハ獨リ一身ノ責務ヲ完ウセサルノミナラス延イテハ朝家ノ御恥トモナルヘキ虞レアリト思考スルカ故ニ少數當局ノ諸公ハ今ニ於テ之ヲ念頭ニ留メラレムコトヲ切望ス

 


※ 以上、原文そのままの書き写し
底本は「定本柳田國男集」第三十一巻(新装版)
昭和四十五年十二月二十日第一印発行・三七六頁〜三八一頁)

(旧漢字がパソコンにないものは略式漢字にした。誤字脱字は書き写した馬場の責任である。)

 

 

 

 

 

 

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(原文の平仮名版、片仮名を平仮名に改めたもの)

 


大嘗祭に関する所感

 

 


今回の御大典の儀制を以て今後永世の例とせらるゝ場合は勿論将来或は之か改訂を企てらるゝ場合に於ては小官の如き地位に在て感し且つ疑ひたる事項を存録することは必す有益なるへしと信し衷心を吐露して後の当局の用に供せむとす固より言論の責任を辞するものにあらさるも又徒に義論を闘さむとするものにあらさるを以て相成るへくは秘封して後年に伝へられむことを希望す

 

御即位礼及ひ大嘗会は旧都に於て挙行せらるゝことは 先帝陛下の深き思召に出てたる儀とは拝祭するも若し周到なる攷究を逐けむと欲する場合には此点も亦問題の中に入れて考へさるへからす殊に御即位礼と大嘗祭とを同し秋冬の交に引続きて行はせらるゝと云う点は頗る考慮の余地ある所なりとす若し登極令草案理由書の記すか如く経費を節約するか其の理由の一なりしとすれは推理上両式執れかを新都東京に於て挙けらるゝの可なるを見るに至るなきを保せす歴朝の前例を見るに即位礼と大嘗会のときとの間隔か現制度の如く接近せるものを見す蓋し是には十分なる理由のあることにて即位礼は中古外国の文物を輸入せられたる後新に制定せられたる言はゝ国威顕揚の国際的儀式なるに反して御世始の大嘗祭に至ては国民全体の信仰に深き根柢を有するものにして世中か新しくなると共に愈其の斎忌を厳重にする必要のあるものなるか故に華々しき即位礼の儀式を挙け民心の興奮未た去らさる期節に此の如く幽玄なる儀式を執行することは不適当なりと解せられたる為なるへしと信す

 

国家の進運か今日の如く著しき時代には即位礼の壮麗偉大人目を驚すへきものあることは固より当然の儀にして小官の如きは臣子の分として今後百千年の後愈〻益〻此の儀式の盛大にして有らゆる文明の華麗を尽さむことを望みて已まさるも之に引続きて略〻相似たる精神を以て第二の更に重大なる祭典を執行せらるゝことは単に無用無益と云うに止らす或は不測の悪結果あらむことを恐るゝなり

 

大嘗祭は古来旧暦の十一月即ち仲冬の候を以て其の期節とせられたるか是も日本の伝来の信仰と関係のあることなり此祭の為に設けらるゝ仮宮は如何に優美なる風習の浸染したる朝廷に於ても徹底的に古式を保存し一切の裝飾を去り素朴簡古を極めたりし所以のものは決して儒者の説くか如き 陛下の謙徳を養ひ奉ると云うか如き単純なる理由にあらすして此祭本来の趣旨に伴う一箇重大なる要件ありし為めと考へらる然に今回の如く之を新暦の十一月中に行はるるとするときは先つ其の精神と相容れさる変態を認むるの必要を生す例へは悠紀主基の仮殿に葺くへき稲の藁は其年収穫の後取り得たる清き藁を用うへき筈なるに今回は特に葺藁用の稲を栽培せしめられ其の穀物の未た熟せさるに先ち之を刈取り其米は無用のものとなりたり此の如きは事小にして経費の点よりすれは言うに足るものなしと雖も苟も大嘗と云う祭の精神より見るときは如何にも不穏当を極めたるものと考へらる尤も是には已むを得さる理由あることにて以前の如く祭の前一二日若くは一昼夜の間に神殿を急造し終ることを得るならは 或は早稲の朽藁を使用することを得たらむも斎殿の規模前朝に此すれは非常に宏大にして又種々なる設備の日子を要するものあるか為め到底此の如き短期間に竣功する見込立たさりしか故に已むことを得すして八九月の交既に大部分の工事を終り清きか上にも清かるへき神殿を長々雨塵に暴露せしのみならす事実に於ては普通の草と同しき穀物を取らぬ稲を用うるか如き結果となりしなり

 

之に此れは事は小なれとも仮宮に用ゐられたる黒木の柱の如きも同しく不自然なる採収をなせし嫌ひなしとせす今日此の如き雄大なる神殿に使用せらるゝ美事なる皮付の松或は樫等は京都付近の山国に於ても余程奥深き処に入らされは之を求むること能はす而も木の皮を損せさるか為に鳶口其他の木流し道具を用うること能はす又普通の運材方法に依りて山より谷を下すこと能はさりしか故に尽く人の肩に依りて嶮阻を輸送するの必要あり当時人民は最も強健にして各潔斎し浄衣の袖を荊にかけ辛苦して恙なく之を平安の地にまて輸送したれとも之か為に要せし労力及ひ準備の多大なることを考うるときは亦頗る前代の恒例に違はさりしかを気遣はれたり

殊に青柴垣に用ゐらるゝ椎柴葉盤葉椀に用ゐらるゝ檞の葉の如きも期節尚早々樹液多きか為め至て凋枯し易きにも拘はらす何れも準備者の責任上十日半月の以前より之を用意したるか為に総体に於て清く新しき天然物を以て祭具を調製せらるゝの趣旨十分に徹底せさるを認めたり

 

凡そ今回の大嘗祭の如く莫大の経費と労力を給与せられしことは全く前代未聞のことなるに而も此の如く心ある者をして窃に眉を顰めしむる如き結果を生したる所以のものは其の理由固より一二なるへからすと雖も主として期節の稍早かりしこと殊には此祭に参列する人員余りに多くして之か為め古例を超過したる大建築物を要し而も之に従事する者専ら責任を全うするに急にして大祭の精神か急造素朴の間に存せしことを会得せさりしに因る

 

此点は将来古式を保存せらるゝ上に於て最も困難なる問題にして将来の当局か肝胆を砕かるへき点なりと思考す新暦の十一月中旬と雖も京都は既に寒し大忌の幄舎には熱汽暖室と云うか如き前代未聞の設備を施されたるにも拘はらす参列者中には寒気に苦しみ病身を理由として半夜に退席するを得さりし者すらありたり或は病躯を愛護して盛典参列の光栄を辞し或は忍て強ひて参列して病を獲たる者もなきにあらす是等の人々の多数をして言はしむれは仮令青稲を刈りて屋根を葺き若くは人造の木の葉を用ゐて祭具とするも成るへくは九月以前に於て此祭を行はれむことを希望する者なしと云うへからす而も此の如きは果して今日の国民慣習に緣遠き三千年の古式を強ひて行はるゝ所以の理由なるか否読書生を侍たすして容易に之を否と云うことを得へきなり此点に付ては独り古書に記述する所を詳読するに止まらす尚ほ其の裏面に穏れたる国民の心意をも推測するの必要あり蓋し前代に於ては此祭は国家最重要の式典にして人民の歸趨を明かにし信仰の統一する上に於て一国の生命は懸りて此祭の完成に在りと云うも決して過当にあらす従て 至尊は申すも更なり之に与る諸員は殆と心身の全部を捧けて神聖なる勤務に股したるものなるか故京都十一月の深夜殆と寒帯に等しき気温の下に於て数回の潔斎をなして其祭に仕うるを常態と解せしなり勿論体力又は健康の上に於ても古人は遙に今代人の如く多感ならさりしならむもそれよりも更に強大なる理由は此の如き国家の為め缺く可らさる神聖なる祭式に与る者病魔の為に身を損せらるゝの恐なしと云う確信代々より固く其の心裡に存したれはなるへし之を今日の知力を備へたる官吏に要望するは固より当を得さることなるへしと雖も苟も古典を保存して昔なからの神祭を行はむとする際には少くも当局に於ては之に匹敵すへき用意あるを以て至当なりと確信す

 

之を以て観れは今後万一にして現行の儀制を変更せらるへき場合ありとせは大嘗祭に関して改訂すへき点は単に期日のみに止らす之に与る者の用意及ひ態度に付きても特に攷究せらるるの必要あるへし一言を以て言へは此祭に与る者の数著しく多きに過きたり大官名族の数は国運の進むと共に増加するは自然の理にして此式に列するを以て単純なる栄典と認むるときは権衡上次第に参列者の数を増加するに至るへきは又怪しむを要せされとも卑見を以てすれは第一に今回の如く即位礼の盛儀に引続きて之を行うことなく又此祭の主要且つ至難なる所以を理会せしむるに務めたりしならは此の如き無用の人員の為に幾分なりとも式典の変更又は不完全を忍うを要せさりしならむ前代の大嘗祭の記録を見るに小忌の役に任する者は勿論大忌の員に列する者と雖も極めて其数を限定し一般民衆も各其家に在りて身を浄うし大祭の滞なく終了せむことを心祈すること誠に事は小なりと雖も村々の祭の夜氏子の者も家に在りて暁を待ちしと同しかりしなり之に与ることを得さりしか故に恰も国民の特権を奪はるゝか如く解する者あるに至ては抑当初局に当る者審かに日本の古祭式の本旨を解説して国民に教へさりしの致す所なり

 

忌憚なく言へは日本の如き国柄に於ては旧式を完全に保存するは此上もなく重要なることには相違なきも此祭の如く古き信仰と終始する複雑にして且つ困難なる儀式を継続することは小官は或は其の不可能ならさるかを疑う当時 聖上には大典の期日に先つこと半月にして遠く弘前の大演習に臨ませられて津軽地方は雨多く気候最も不良なるを以て心ある国民は窃に玉体の平安を憂慮し御一代一度の大式典に近つきて強ひて此の如き遠方の旅行を奏請したる陸軍当局の無思慮を非難したる者多かりき然れとも飜て案するに日本の歴史に於て天子御疾の為め此祭の日に合期せられさりし例は小官等か未た學ひ知らさる所にして此の如き憂慮を懐くは寧ろ神国の天祐に対し疑を挿むの結果となり国民の確信と一致せさるものなるへし唯之と同時に或者の最も心を痛めたりし点は斎忌の風習世の進むと共に次第に疎になり一般国民は勿論小忌の衣を被るへき少数の者の間に於ても祭の神聖を保持するに最も重要なる数多の條件を守らす形式の整備を以て唯一の目的としたるか如き嫌なきに非さりしを以て此の如きは果して玉体を安穏にし困難なる祭式を終了せしむるに足るきのなるや否やを気遣うことを免れさりしなり

 

現行登極令に於ては即位礼以下の諸式尽く 両陛下の臨御を予想して編成せられたるものなるに畏れ多きことなれとも 皇后陛下には当時御障りありて遂に行啓なく紫宸殿内の御帳台は遂に空しく其用を為さゝりき勿論此の御障りは皇室の慶事にして何人も之を遺憾とする者なかりしとは雖此の如く当初の予定か或は変更せらるゝことあるを以て保守固陋の學者は之を何ものかの前徴警示なるか如く感し如何にすれは当局官僚の斎忌を正式にすることを得へきかを考慮したり然るに京都は元来土地狭く一時に此の如く数千の参列員と数寓の諸国の拝観者を収容するに足らさりしか故に式事者の宿舎の如きも不完全なる点多く食物寝具其他一切の生活に於て到底正規の致斎を行う能はす恐くは伊勢神宮の神官等か日々遵守する程度に於ても潔斎し能はさりしか如し現に小官の実見する所に依るも大嘗祭の前一夜京都の市民は電灯昼の如く種々の仮装を為して市街を錬行く者あり処々の酒楼は絃歌の声を絶たす大忌の幄舎に参列すへき諸員にして火を忌ます人を遠けさるは勿論獣肉五辛を喰ひ平然たる者其数少からす前代の慣習を見聞せし老人等をして是れ果して大嘗祭の前夜なるかを疑はしむるものありたり此の如くにして何等の障礙なく 聖上陛下の御安泰は申すも畏し式典の大小部分に至る迄何等の障礙なく之を遂行し更に翌夜の大饗に於て歡を尽すことを得たるは小官の如き小心なる者の感しにては殆と過分に寛大なる神助にして永遠に向つて此の如きことを予期するは到底不可能なりと考へしめたり

 

今若し大嘗の古式を節約して単に一部の形式を永世に保持せむとするならは事は則ち容易なり国民の教育ある者は仮令之に依りて直に旧時の面目を感得することを得すとするも能く連想を以て神国の古意を酌み知ることを得へきを以て多大の困難を忍ひ更に 至尊を煩し奉りて冬期深夜徹宵の御祭を願うにも及はさるへきも若し万一農国本の精神を万世に伝へ朝家民に代りて天神を祀り給うの義を百姓に会得せしめむとするならは独り斎忌の制度のみを切離して不要に歸するの理由はあらさるへしと信す従て今日最も其宜しきを得すと考へらるゝ点は即位礼の盛儀を経て民心興奮し如何なる方法を以てしても慶賀の意を表示せむとして各種の祝宴に熱中する際引績きて大嘗祭の如き厳粛を極め絶対の謹慎を必要とする祭典を挙けらるゝと云う制度なり就ては若し強ひて京都に於て同時に二の式を行はせらるゝ必要あらは先つ大嘗会を終り次に即位礼に及うとするか然らされは即位礼は東京に於て華々しく之を挙行し或期間を隔てゝ古き慣例の如く新暦十二月に京都に於て此祭を行はるゝか或は又京都に於ては即位礼と其の之に伴う祝典のみを挙けられ車駕還幸の後東都に於て静に其年の秋に祭を行はるゝか又或は一定の期間京都に御滞在ありて民心の静まるを待ちて此祭を行はるるか何れにしても今回の如く混乱の内に三千年来の儀式を終るか如き前例を繰返されさることを切望して已ます思うに明治以降制度の大変更を経たる後旧儀を復活することは各種の点に於て穏れたる種々の困難あるへく例へは衣冠の使用法の如きも今回は期に臨みて之を百数十名の京都人に伝習せられたるも幸にして今猶前時代の所謂衣紋方の口伝を保存する者ありたれはなり百年の後古老既に世を辞し新人は洋風の生活に慣れ古書を研究する者漸く稀なる時代に臨み急に此の如き準備を企てらるゝも恐くは成績を挙くること難かるへし之を以て見れは宮内当局の任務は平生に於て既に至て重し此の問題の如きも徒に感情の為に制縛せられて平生の攷究を怠るときは独り一身の責務を完うせさるのみならす延ゐては朝家の御恥ともなるへき虞れありと思考するか故に少数当局の諸公は今に於て之を念頭に留められむことを切望す

 

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米国と中国の合意に韓国がない

【コラム】米国と中国の合意に韓国がない(1)

2017年04月28日08時27分

 

http://japanese.joins.com/article/582/228582.html?servcode=100&sectcode=120&cloc=jp|article|ichioshi


[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

 

  米海軍の「カール・ビンソン」空母艦隊が到着した。空母自体だけで戦闘機60台と空の戦闘司令部の役割を果たすE2C早期警戒機機も搭載されている。空母艦隊を構成するイージス級巡洋艦と駆逐艦には射程距離500キロメートルのSM3迎撃ミサイルがのせられている。最も恐ろしい武装は、駆逐艦の「トマホーク」ミサイルだ。2003年、イラク戦争の際に初期の戦勢を決定したそのトマホークだ。原子力潜水艦の「ミシガン」もトマホーク154発をのせて釜山(プサン)港に入ってきた。

  米空軍は、グアム基地にF−22、F35B、B−1Bのような最新鋭戦闘機を配備し、2〜3時間以内に韓半島(朝鮮半島)に展開する体制を整えている。日本の米軍基地に配備された戦闘機と戦闘爆撃機は発進するとすぐに北朝鮮の上空に到着する。

  米国のこのような高強度軍事的圧力のために、金正恩(キム・ジョンウン)委員長は金日成(キム・イルソン)主席の誕生日である4月15日にも、人民軍建軍85周年である25日にも米国の専門家らが予告した6回目の核実験に踏み切ることができなかった。北朝鮮の「あくどい人」が米国の「あくどい人」に会ってしばらく尻尾を巻いたわけだ。

  しかし、軍事的圧力というミクロ的な現象だけで米国が北朝鮮の核・ミサイル施設を攻撃するかどうかを、韓半島に戦争が起きるかどうかを判断してはならない。カール・ビンソン、ミシガン、トマホーク、SM−3に劣らず金正恩委員長の挑発的行動を抑制してきたのは「TX(トランプ氏と習近平氏)のビッグディール」にともなう中国の北朝鮮に対する前例のない強い牽制だ。持って生まれた勝負師のTは、中朝の離間策に成功した。

  中国の官営メディアの環球時報は連日、北朝鮮への警告を吐き出している。北朝鮮に最も恐ろしい警告は、中国が米国の対北朝鮮先制攻撃に反対しない、北朝鮮が6回目の核実験を強行すれば中国は北朝鮮に対する石油供給を停止するかもしれないということだ。

  しかし、誤解はやめよう。中国が米国の対北朝鮮先制攻撃に反対しないということを額面通りに信じるのは甘い考えだ。その話は強力な警告のレトリック(修辞)だ。先制攻撃は韓国に対する北朝鮮の報復攻撃を招き、報復攻撃は韓半島の全面戦争を意味する。決して中国が受け入れられるようなシナリオではない。

 

 

【コラム】米国と中国の合意に韓国がない(2)

http://japanese.joins.com/article/583/228583.html?servcode=100&sectcode=120

 

  4月6〜7日、TXのフロリダ首脳会談と24日の通話会談で合意したのは次の3つと見られる。

 

(1)米国は全面戦争につながる先制攻撃をしない、

(2)中国は石油供給停止を含め、対北朝鮮圧力で北朝鮮による6回目の核実験と大陸間弾道弾(ICBM)につながるミサイル発射試験を阻止する、

(3)中国が協力しなければ米国は北朝鮮と取り引きする中国企業にセカンダリー・ボイコットを強行する。

  TX合意がここで終わったはずがない。2人は取りあえず、北朝鮮の6回目の核実験と弾道ミサイル発射試験という差し迫った問題にけりをつけて核問題そのものを解決する方策を見出したのだろう。彼らの前には2つの選択肢が置かれている。2017年現在、推定される北朝鮮核弾頭20個程度を凍結して外交的解決を模索するか、それともトランプ氏の任期中である2020年までに北朝鮮が100〜200個の核弾頭を保有することを放置するかの選択だ。乱暴で予測不可能なトランプ氏だとしても、先制攻撃の選択肢はテーブルから除いたようだ。TXは、米国は中国の経済を深刻に脅かす為替操作国の指定をせず、中国はその代わり金正恩委員長の牽制にできる限りのすべての手段を動員するというビッグディールをしたわけだ。Xは中国が望まない韓半島戦争を防止する重要な成果を上げた。

  ウィルソン・センター国際安保研究所のロバート・リトワク所長は2月に発刊した『北核突破防止』という小冊子でトランプ政府が核と体制交代(regime change)を分離して核弾頭20個という現水準で凍結した後、強圧的関与(coercive engagement)で米朝修交と平和協定の締結につなげる政策を採択するだろうと見通した。強圧的関与とは、力で圧力を強めて北朝鮮を交渉テーブルに引き込むということだ。この法案なら、北朝鮮にとっては核弾頭20個の抑止力を維持でき、中国にとって韓半島の戦争と北朝鮮政権の崩壊を防ぐことができ、米国にとっては核弾頭の小型化と米国を攻撃するICBMの開発を阻止することができるというメリットがある。韓国にとっては戦争が起こらないというメリット程度だ。27日、米国務・国防長官と国家情報院長が行った「最高の圧迫と関与」の宣言も結局は凍結→力を前面に出した交渉で米国本土を北核脅威から保護するというものだ。

  トランプ政府のこの政策に韓国はない。「コリアパッシング」(Korea passing=韓国排除)という深刻な事態だ。問題は、往年のネオコン保守・強硬論者を除いた多くの専門家も戦争をしない限り、これが唯一の現実的解決策ということに同意しているという点だ。TXが北核問題の解決を懸念してくれるのは有難いが、韓国排除は断じて許してはならない。大統領選候補はこのような事情には目を閉じたまま、掛け声水準の幼稚な安保構想だけを乱発しているとは実に懸念される。次期大統領は是非、TX方式に反映させる韓国の戦略を徹底して準備することを国民の名の下で求めたい。

 

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法令守らぬ「蓮舫代表」担ぐ怪奇 何が問題かも理解できず

 2016.9.15 01:00更新
【阿比留瑠比の極言御免】

 


法令守らぬ「蓮舫代表」担ぐ怪奇 何が問題かも理解できず


http://www.sankei.com/premium/news/160915/prm1609150004-n1.html

 

 

陣営会議に参加した民進党の蓮舫代表代行=14日午後、東京都千代田区(桐原正道撮影)


民進党代表選では、にわかには信じ難い「怪奇現象」が起きている。候補者の一人、蓮舫代表代行が13日に台湾籍を持つことを明かし、「二重国籍疑惑」が事実だったことを認めたにもかかわらず、代表選での優位は動かないのである。

 

国籍法は、「外国の国籍の離脱に努めなければならない」と定める。蓮舫氏はその規定を順守せず、自身がどの国の国籍を持つかも把握しないまま、天皇が任免する認証官である閣僚まで務め、産経新聞が疑問点を指摘しても「意味が分からない」と逃げてきた。

 

民進党議員らは、そんないい加減な人物が、政権交代があれば首相となり得る野党第一党代表の座に就くことに、何の疑問も感じないのか。だとすれば背筋が寒くなる。

 

民進党という狭い「コップの中」で、勝ち馬に乗ってポストを得るためだと考えているのなら、まさに国民不在である。そうではなくて、何が問題か理解できていないとしたら、ますますどうしようもない。

 

例えば岡田克也代表は、周囲から「これは問題ですね」と忠告されてもピンとこない様子だったという。8日の最後の代表記者会見では、蓮舫氏を擁護してこんなことを語っていた。

 

「お父さんが台湾の人だから、何かおかしいかのような発想が一連の騒ぎの中にあるとすると、極めて不健全なことだ。多様な価値観を認めるわが党が目指す方向とは全く異なる」

 

永田町では「理路整然と間違う」と言われてきた岡田氏だけあって、最後の瞬間まで焦点が外れたままのようだ。誰も蓮舫氏の父親が台湾人であることなど問題視していない。そもそもこれは、価値観の問題ではない。公党のトップに立とうという者が法令を守り、手続きをきちんと踏んでいるかどうかの話だ。

蓮舫氏自身も7日の報道各社のインタビューで、代表選で国籍が話題になったことについて「非常に悲しいなという思いはある」と述べていた。

 

だが、正当な指摘や批判を、まるで他民族やマイノリティーへの差別であるかのようにすり替えるやり方は、本当に差別に苦しむ人々を軽んじ、利用するかのようでいただけない。

救いは、決して多くは聞こえてこないものの、民進党内にも得心できる意見があるのが分かったことだ。井戸正枝元衆院議員は13日付のブログで、こんな正論を展開していた。

 

「問題の本質を『差別』や『多様性』他の言葉で覆い、他のことには触れない、というのはどうなのだろうか。今回はあくまで『公人』のコンプライアンスの問題が発端なのだから、そこから逃げてはいけないのだと思う」

 

安倍晋三政権に批判的な政治評論家、森田実氏も13日付のフェイスブックで、「民進党の自殺行為に等しい大愚行です。狂気の沙汰です」と警告し、代表選やり直しを訴えていた。民進党は今、それとは知らずに崖っぷちに立っているのではないか。(論説委員兼政治部編集委員)

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なぜ習近平は人民解放軍を「7軍区」から「5戦区」に再編したのか?


なぜ習近平主席は人民解放軍を

 

   「7軍区」から「5戦区」に再編したのか?

 

その狙いを読み解くと…


http://www.sankei.com/premium/news/160910/prm1609100014-n1.html

 

中国・福建省アモイ沿岸で、上陸演習を行う第31集団軍の水陸両用戦闘車両=5月(中国国営テレビ=AP)

 

 

中国の習近平国家主席(中央軍事委員会主席)は2月1日、人民解放軍の編成を中国全土を7つの地域に分けた「軍区」から5つの「戦区」に再編したことを正式に宣言した。当初から中央からの統制強化や統合運用への転換が指摘されていたが、台湾の国防部(国防省に相当)が8月末に立法院(国会)に提出した年次報告などから、「戦って勝てる」軍隊への移行を目指した再編の具体的な姿が見えてきた。

 

 

歴史的改革

 

従来の7軍区は1985年、●(=登におおざと)小平が主導する改革で、それまでの13軍区を再編して成立され、同時に100万人の人員削減が行われた。各軍区は司令部がある瀋陽、北京、蘭州、済南、南京、広州、成都の名を冠し、各省に設置された省軍区にまたがるため「大軍区」とも呼ばれた。人民解放軍は伝統的に陸軍中心の組織で、各軍区に2〜3個の集団軍が配置されていた。軍区内の海軍や空軍、戦略ミサイル部隊「第2砲兵」は平時は独立した軍種とみなされ、戦時にのみ「戦区」司令部が設立されて部隊を統括することになっていた。

 

台湾陸軍の学術雑誌「陸軍学術」の8月号の論文によると、軍区の誕生は第1次国共内戦中の32年。旧ソ連の体制を模倣して江西軍区が設立されたことにさかのぼる。その後、48〜49年にかけ6軍区制となり、85年に13軍区となった。今回の戦区への改編後も省軍区は残るが、名称の上でも大きな変化を感じさせる。

 

2012年11月に権力を掌握し「戦って勝てる強軍」の方針を掲げてきた習主席は、昨年9月から軍改革の方針を順次、発表。30万人の削減や第2砲兵の「ロケット軍」への改称と戦略支援軍の創設、中枢組織である4総部の15機関への再編に続く最終段階として、北部、中部、東部、南部、西部からなる5戦区への再編を打ち出した。一連の改革は20年までに完了する。

 

 

実戦を重視

 

戦区の最大の特徴は、任務が作戦と、そのための訓練・演習に特化されたことだ。従来の軍区が持っていた域内の集団軍や各省軍区で兵員や装備を確保し維持するなどの行政管理業務は、中央軍事委員会に新たに設立された「国防動員部」が一括して行うこととなった。

 

戦区には統合運用のための「連合作戦指揮機構」が設立され、域内の陸海空軍、ロケット軍、戦略支援部隊、民兵、予備役などの部隊を統一して指揮できることとなった。これにより、戦区司令部は従来の縦割りの弊害や無駄な業務を排し、より実戦的な任務に集中できるようになった。

 

台湾の国防部の「中共軍力報告書」は、こうした改革は「米軍を模倣したものだ」と指摘する。作戦指揮権と兵力整備や人事などを行う行政指揮権を分け、司令部はフォースプロパイダー(戦力提供者)である各軍から提供された部隊で作戦を行うフォースユーザー(戦力使用者)に特化した、米太平洋軍などの「地域軍」に近い構想とみられる。

また、地理的にも5戦区に減ったことで、例えばインド方面で蘭州軍区と成都軍区で重複していた装備が削減できる。今後、18個あった集団軍も削減される見通しで、中部戦区の第27集団軍がすでに第27師団に改編されたとの情報がある。

 

 

将来の人事は

 

台湾空軍の8月の学術論文は、行政管理部門の効率化により、少なくとも17万人の陸軍将兵が削減されると推計している。また、国防部の報告書は、各戦区の司令員人事について、現在は陸軍の上将(大将)が就いているものの、将来的に各戦区の戦略的な重要性に合わせ海軍や空軍の将官が登用されるかどうかに注目している。

 

日本との関係では、台湾・尖閣諸島方面を担当する東部戦区の司令員に、1979年の中越戦争を経験した劉粤軍上将が就任した。実戦経験が重視されたとみられる。台湾陸軍の論文は、こうした改革により、台湾が受ける軍事的な圧力は「有形、無形とも増えこそすれ、減ることはない」としている。(たなか・やすと 台北支局)

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純中国製の大型輸送機Y(運)20がついに完成−航続距離7800キロ

軍事力というものはもっている武器の内容でその国の戦略が見えてくる航続距離7800キロ 外征能力を持つ純中国製の大型輸送機の開発と成功が意味するところは何か。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

    2016.7.11 04:00更新
【田中靖人の中国軍事情勢】

 

純中国製の大型輸送機Y(運)20がついに完成

 

− 外征能力向上が意味するのは…

 

 

http://www.sankei.com/premium/news/160709/prm1607090016-n1.html

 

 

国広東省珠海で開かれた「国際航空宇宙博覧会」で披露された大型輸送機「Y20」=2014年11月(共同)


中国が開発していた大型輸送機Y(運)20の空軍への引き渡し式典が6日、行われた。中国軍の機関紙、解放軍報が所管するサイト「中国空軍網」などが伝えた。Y20の開発成功は、旧ソ連・ロシアからのIL76の輸入に依存してきた長距離航空輸送能力を、自力でまかなえるようになることを意味し、中国軍の外征能力の大幅な向上につながる。

 

 

「戦略空軍」への一歩

 

記事は式典の場所を明らかにしていないが、発信地は四川省成都。国営新華社通信も短いを記事を成都から配信しており、成都に司令部がある空軍第4輸送師団への配備とみられる。式典には、中央軍事委員会の許其亮副主席(空軍上将)や馬暁天空軍司令員、2月の再編で発足した「西部戦区」の幹部らが席した。

 

許氏は訓示で、Y20は「空軍の戦略輸送能力を高める重要な意義がある」と称賛した。国防省のサイトには、Y20が放水を受ける写真が掲載され、完成を内外に誇示したい意向がにじんだ。

 

台湾空軍の2014年4月の学術雑誌論文によると、Y20は航続距離7800キロで、中国西部からエジプトのカイロまで給油なしに到達できる。最大積載量は66トンと日本の次期主力輸送機C2(積載量37トン)の約2倍で、99式主力戦車(51トン)を輸送できる。その能力は、米空軍のC17グローブマスターIII(同78トン)やロシアのIL76(同50トン)と同程度とされる。

 

旧ソ連・ウクライナ製アントノフ(An)12のコピーで、1980年から中国が自主製造してきた中型輸送機Y8は、最大積載量15トン、航続距離約3500キロ。Y20の能力が大幅に向上していることが分かる。Y20は2007年から陝西省西安の西安飛機工業公司で開発が始まり、13年1月の初飛行まで約6年間でこぎ着けた。ネット上に写真が流出する形で開発が確認された戦闘機J(懺)20やJ31と異なり、開発計画を積極的に公表してきたことも特徴的だ。

 

Y20の完成は、中国空軍が「戦略空軍」に転換する第一歩とみられている。中国の軍事専門家は、今後少なくとも100機を輸送機として導入し、さらに50〜60機を空中給油機や電子戦機、早期警戒機などの派生型として用いるべきだと主張している。


ロシア依存から脱却

 

中国空軍はこれまで深刻な航空輸送力不足に悩まされてきた。1990年、旧ソ連からIL76の購入交渉を開始し、98年までに14機を入手。2005年にはさらに38機(うち8機は空中給油機型)の契約でロシアと合意したが、価格のトラブルなどで納入が遅れ、現在までに合計約20機しか保有していないとみられている。ミリタリーバランス2016年版は、IL76の保有機数を「16機以上」としている。

 

中国共産党の機関紙、人民日報傘下の国際情報紙、環球時報(電子版)が6月に掲載したロシアの軍事専門家の見方によると、中国が今後数年間、Y20を量産する能力は1年当たり2〜4機だという。建造設備の拡充よりも作業員の養成が難しいためで、Y20の量産開始後もIL76を輸入する必要があると主張している。

だが、中国が長距離大型輸送機をロシアからの輸入に完全に依存せずに、自前で調達できるようになった意義は大きい。また、IL76は積載能力の限界から、03式空挺歩兵戦闘車しか登載できなかった。Y20が1両とはいえ、主力戦車を登載できることは、中国の外征能力を大きく高めることになる。

 

中国軍は当面、Y20を海外での人道支援や、テロや災害時の自国民の退避活動(NEO)などに使用するとみられる。だが、中国の空挺(くうてい)部隊である第15空挺師団は3個師団計約3万人の兵力を有しながら、航空機の不足でヘリを含めても一度に最大で約6000人しか輸送できないとされてきた。台湾空軍の今年2月の学術論文は、中国空軍が約50機を保有するY8を増産しなかったのは、能力が低く効率が悪いからだと指摘している。

 

将来、Y20の本格的な運用が始まれば、南シナ海や尖閣諸島での有事で、物資輸送や特殊部隊の潜入に使用される可能性がある。さらに、15空挺師団を支援する空軍13輸送師団に配備されるようになれば、空挺部隊を投下する役割も担うだろう。台湾空軍の今年2月の論文は、Y20の就役は「極めて高い戦略的な意義を有する」と分析している。(台北)

 

 

 

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中国軍の上陸侵攻能力は着実に強化されている

2015.12.8 01:00更新

【中国軍事情勢】

 

海軍陸戦隊、陸軍水陸両用機械化師団、空軍空挺団

 

…中国軍の着上陸侵攻能力は着実に強化されている


http://www.sankei.com/premium/news/151208/prm1512080003-n1.html

 

過去3回にわたり、中国人民解放軍の弾道ミサイル部隊と航空部隊の勢力を紹介してきた。今回は、こうした部隊の先制攻撃で航空優勢を確保した後、中国軍が実際に着上陸侵攻する能力がどの程度あるのかを見たい。日本からすれば、石垣島や宮古島などの離島防衛の観点から見逃せない兵力だ。国際的にみても、中国が南シナ海で領有権を主張する島嶼(とうしょ)に指向する可能性がある。(台北 田中靖人)

 

 

中国の着上陸侵攻能力は…

 

中国軍の着上陸部隊は、海軍の陸戦隊、陸軍の水陸両用機械化師団、空軍の空挺(くうてい)部隊に分かれる。米軍の海兵隊に相当する海軍陸戦隊は、2個旅団が南シナ海を担当する南海艦隊の隷下にある。海軍陸戦隊は1953年、中国国民党軍に占拠された南東部の島嶼を「解放」するために設立された連隊に由来する。57年にいったん廃止されたものの80年5月、海南島の陸軍第391連隊を改編する形で再び設立された。

台湾の国防部(国防省に相当)の2009年の学術論文によると、総兵力は約8500人で、艦隊司令部がある広東省西端の湛江と、隣接する遂渓にそれぞれ駐屯している。平時は南海艦隊に所属しているが、有事には中央軍事委員会の総参謀部から直接の指揮を受ける。


米ジェームズタウン財団の機関誌「チャイナブリーフ」の10年8月の記事によると、海兵旅団は司令部のある雷州半島で、南海艦隊の揚陸艦やヘリと共同演習を行っていることが確認されている。14年版のミリタリーバランスは、主要装備を05式水陸両用戦車(ZDB05)73両、同装甲車152両としている。

台湾の国防部の論文は、海軍陸戦隊の主目的は、配置から見て台湾侵攻ではなく、南シナ海の領土紛争への対処だと分析している。一方、台湾海軍の12年の学術論文は、東シナ海を担当する東海艦隊にも旅団が創設されたとしている。部隊番号や編成などは不明だという。東海艦隊の旅団創設が事実であれば、日本の南西諸島が担当地域に入ることになる。

 

 

陸軍部隊は台湾侵攻の主力

 

陸軍の水陸両用機械化師団は、1990年代以降に設立された部隊で、南京軍区の第1師団、広州軍区の第124師団がそれぞれ水陸両用に改編された。さらに、南京軍区の第86師団も将来、改編され、3個師団態勢になるという。ミリタリーバランスは現在、2個師団1個旅団態勢としている。台湾の論文は、1個両用師団は、2個の両用歩兵連隊と1個両用装甲連隊、1個両用砲兵連隊を中心に編成。主要装備は水陸両用戦車と装甲車に加え、上陸後の戦闘を想定し、96式主力戦車も含まれるとしている。このため、1個両用師団の主要装備数は1個海軍陸戦旅団の3倍に上り、「打撃力、機動力ともに強大」で、「突撃上陸作戦」の第一波を担うとしている。

 

 

 即応部隊の空挺師団

 

空軍の空挺作戦は61年6月に設立された第15空軍が担う。中国の空挺部隊は旧ソ連式で、陸軍ではなく空軍に属する。ただ、戦時にはやはり中央軍事委員会の指揮を受け、戦略予備部隊とみなされている。

15空軍は湖北省孝感に司令部を置き、隷下に歩兵戦闘車で武装した第43、44、45の空挺機械化歩兵師団を擁する。総兵力は3万人前後と推計され、第13航空輸送師団、陸軍航空部隊所属の独立ヘリ団(大隊規模)と連携し、即応部隊を構成している。うち第44師団は訓練部隊で、残り2個師団が戦略予備部隊だという。

第13航空輸送師団には、ロシアから購入した大型輸送機IL76や運8、運7が配備されているが、国外への輸送能力としては不十分だとされる。15空軍は隷下部隊が河南、湖北など大陸内部に近い地域に配置されていることから、ロシアやインド、チベット地域などへの即応部隊だと考えられている。2008年5月の四川大地震では、震災直後に第15空軍から約6000人の部隊が被災地に派遣され、国際的に注目された。

こうした部隊が台湾侵攻や南シナ海の領有権紛争にどういう役割を果たすのかは、次回で検証したい。

 

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