私達人間を支えるもの
見えざる世界の自覚が真の自己実現へと導く

 私達は自分だけで生きているのではなく、多くの人間と多くのものに支えられて生きている。そのことに対する敬意と感謝がその人間の生き様を決める。それが豊かな心、豊かな人生である。だが、今は自己主張の時代、主張の裏で自分を支えているものが何者かを見極める心は希薄である。従って敬意と感謝が失われ、個人にも社会にも品格がない。

 自己主張をする、自分の考えを実現しようとする。このことには何の問題もないのだが、自己を主張する心と自分を支えている存在への感謝の心は、何故にか反比例しているように見える。自分を強烈にアピールする人間ほど、他に対する感謝を知らないように見えるのだが、それは私だけの思いであろうか。

 自分を支えている存在には、目に見えているものと目に見えぬものの二つがある。現代社会では、目に見えているものへの感謝すらない時代だから、目に見えないものへの感謝などないのが当たり前である。ところが、本物の人間とは、本物の人間社会とは、その目に見えぬものが自分を支えていることを自覚した者、自覚した社会のことである。

人は空気を呼吸して生きている。だが人はそのことを自覚して生きているだろうか。そしてそれを恩恵として感謝して生きているだろうか。植物たちは空気をきれいに浄化してくれている。水は海水から生まれ、大地自然が濾過してくれている。私達は地球の生命、地球の45億年の歴史のお陰で生きているのである。

私は日本人である、私の話す言葉は日本語である。言葉は単なる意思の伝達手段ではない。単なる記号ではない。そこには生命がある。生命を産むものは生命だけである。私達は日本語という生命により生命を与えられ、育まれ、自己の生命を実現し表現している。その日本語に生命を与えているものは、2666年の歴史だけでなく、それ以前の歴史も含む私達日本民族の歴史である。そこに生きた祖先である。私達はそのことを恩恵としているだろうか。感謝の念をもって生きているだろうか。残念ながら答えはノーである。それどころか自分達の身勝手な現代の価値観で彼等を批判している。戦争の存在をもって彼等を殺人者としたり、野蛮国であるとしている。人間の何たるかも知らずして差別社会と為している。愚も甚だしい。思い上がりも甚だしい。まるで自分が全てを知っているといった無知と思い上がりがそこにはある。祖先のお陰、周囲のお陰で生きていることを自覚するのが人の道の始まりである。自らの祖先の恩恵を知らずして何をか言わんやである。

祖国の歴史と文化。それらは目に見えないものであるが、誰が何と言おうと私達の生命の根源をなすものであり、これらに対する自覚と感謝を持つ事はは人間として当然である。愛国心とはその心の発露である。愛国心や祖国への自覚と感謝に於いて自由はない。それは国を愛するという事が思想でなく人間としての道であるからだ。諸君、父母を敬い愛することに自由はありますか。父母を愛さない自由、父母を敬わない自由は人間にはありません。それが人間の道、人間の世界だからです。

私達を支えているものは他にもいっぱいあります。例えば私達が着ている服は日本製のものもあれば、韓国のものもあれば、中国のものもあります。私達はその恩恵で生きているのです。私達はその人々共に生きているのであって、日本国民と共に、世界の人々と共に生きているのです。そのことに対する自覚と感謝もまた存在しなくてはならりません。それをきちんとできるのが日本人であります。残念ながら、中国や韓国にはそれがない。日本人は戦前も戦後も一生懸命自分達の持つ技術を教えました。自分達が近代化を独力でなし得ず、国家体制を含めてそれをなし得たのは日本だけであり、日本が先頭に立って道を開いたからこそアジアは開放されたのである。それ故に今日のアジアの発展はあるのです。そのことに対する感謝など中韓にはさらさらない。彼等は我が国に支配されたという怨みしか持ってない。それでアジアの本当の発展はありません。アジアは心を大事にする世界です。だからアジアは単に経済復興にとどまるのでなく、アジアの心を世界に押し広めなくてはならないのです。それが世界の安定と平和の礎となります。併し中国韓国にそれは出来ない。だからこそ我ら日本国がアジアのリーダーでなくてはならないのです。そうでなければアジアの真の復興はありません。

私の生命は肉体的生命だけではない。何よりも精神的生命がなければ私は人として生きて行けない。人としての精神的生命を私に与え産んでくれたのは父母であり祖父母である。だが、もっと奥には更に大きな日本国の存在があり、それこそが真に私を私たらしめている存在である。日本という目に見えざる存在への自覚と感謝が、私達を人間たらしめ、自分たらしめるのです。今の「国を愛する心」という言葉が思想信条の自由を犯すものだという教育では人の心は育たない。それは反戦というイデオロギーに洗脳された教育に過ぎないからです。「反戦平和」という言葉は、かつての革命戦士教育の潮流の中から生まれたことを私達の年代はこの目で見てきた世代です。反戦平和が日本に革命を起こす為に国民を手段として利用することを平気でしてきた者達が源流を為すイデオロギー運動であることを十分に理解できる者達です。反戦平和のの奥にあるものは純粋なものなどではない。そのことが分かるのが大人というものである。自立した心というものであるだ。自立した心にのみ正しい判断があり、感謝の心と恩恵の自覚もまたそこにある

見えざるものへの敬意と感謝、日本人はもっと深く自己の存在を自覚しないと、本来の自己を生き抜くことはできない。自己実現という言葉を最近よく聞くが、自己実現とはなにか。ムードだけではいけない。自己の本当の姿を知らずして自己実現ができる筈がない。自己の実体を知らずして、一体自己の何を実現しようと言うのだろうか。

日本人の特質は無私である。無私なればこそ真に自己を知ることができ、自己を実現できるのである。中国や韓国に対する土下座外交を無私とは言わない。あれは隷属であって、自己喪失である。無私は真の自己である。無私なればこそ中国韓国の真実の姿が見え、そうであればこそ真の互敬平等の外交が実現できるのである。自分を失い祖先に唾する者に本当の外交関係を結ぶことはできぬ。自らに誇りを持たぬ者に本当の友好関係の樹立などできない。無私とは非常に高い境地であり、厳しい次元を突破したところにあるもので、人間の真実が見えるということである。正しいことも間違いも共に見えるということである。無私なればこそ男女共同参画社会の是と非も見えねばならないし、その本当の意図と結果が見えるのである。

人間は天地自然から生まれたるもの。従って人為社会は間違いである。イデオロギー社会は洗脳社会であり、人為社会である。今の民主主義もイデオロギーの範囲内にとどまっているもので、真の人間社会、真の平等世界を実現するには不十分である。世界の人々が「民主主義」を通して感じているもの、憧れているものはイデオロギーとしての「民主主義」ではない。人々は、国や社会によって人間として生かされるのではなく、個々が主体的に、国や社会や家庭、人間の本質を自覚することによって自分らしく人間らしく生きて行ける社会を理想と考えているのである。人間はいずれ民主主義を超えた真の民主社会の存在に気が付くであろう。真の民主社会は目に見えない世界に生かされている自己を自覚した、敬意と感謝の心によってこそ建設される。

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