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「抗日ドラマは大嫌いだ」と中国軍元兵士

「抗日ドラマは大嫌いだ」と中国軍元兵士

・・・日本軍と戦った証言者!=中国メディア

http://news.searchina.net/id/1568800?page=1



 浙江省の有力紙「今日早報」は7日、「抗日戦の老兵を取材。最も嫌いなのは抗日“神劇”」と題する記事を掲載した。抗日戦を戦った89−93歳の元兵士の証言として、当時の戦いがいかに苦しかったかを紹介し、彼らは安直に作られる「抗日ドラマ」に強い反感を持っていると伝えた。

 取材を受けたのは、共産党系で旧満州などで日本軍や満洲軍と戦った東北抗日聯軍の元兵士の黄開仁さん(93歳)、国民党兵士として四川省方面で戦った川軍元兵士の盧彩文さん(90歳)、国民党が英軍支援にためにビルマに派遣した中国遠征軍元兵士の李文仲さん(90歳)、共産党軍である八路軍元兵士の張殿国さん(89歳)らだ。

 元兵士らは、日本軍を急襲して「鮮やかに勝利」したこともあったが、戦いは全体として極めて苦しかったと証言。まず中国軍の装備は日本軍よりも劣っていた。八路軍の装備はさらに劣っていた「多くの兵は銃も持っていなかった。日本軍から奪うしかなかった。奪った銃が使えないこともあった。弾丸が手に入らなかったからだ」という状況だったという。

 食べ物にも困った。特に冬だ。東北抗日聯軍に参加した黄さんによると、ゆでても硬いトウモロコシや、雑穀を皮ごと食べたりした。木の枝の下で寝るしかなく、10人のうち8、9人が凍傷を患った。けがや病気で死んだ将兵の方が、戦死した者より多かったという。  中国のテレビ局は、いわゆる「抗日ドラマ」を放送しつづけている。抗日ドラマには「国民に苦しい歴史を思い出させ、共産党を中心とする結束を固める」との目的が明確だった。

 しかしテレビ局は次第に「広告収入獲得のため、視聴率重視」の傾向を強めた。「抗日ドラマ」でも、思想的背景や歴史的事実への忠実さよりも「視聴率が取れなければ、よい番組ではない」との考えが強まった。その結果、史実や現実性を無視しても「中国人が日本兵を痛快にやっつける」といった娯楽性本位のドラマが増えた。「愛国抗日」でありさえすれば、かなり荒唐無稽な内容でも当局が「待った」をかけにくいとの局側の“読み”もあったとされる。中国ではこの種のドラマがしばしば「抗日神劇」と呼ばれている。  記事によると、元兵士らは「最も嫌いなのは抗日“神劇”」と述べたという。

**********

◆解説◆

 上記記事には不自然な面もある。元兵士による「過酷な従軍生活」についての証言は発言者名を明記しているのに、「最も嫌いなのは抗日“神劇”」との発言には明確な主語がないことだ。

 “神劇”批判は見出しにもあり、同論説の主要な主張と考えられる。「真実の戦争体験」を持つ元兵士が、安直に制作される「抗日神劇」を毛嫌いすることは不自然ではないが、上記論説は「結論ありきの取材記事」だった可能性がある。

 ただしその場合、上記論説は「抗日神劇」に批判的である、当局上層部の意向を反映したものと、読み取ることができる。

(編集担当:如月隼人)

(写真は7日付「今日早報」の同論説掲載面から





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編集者は、
上記論説は「結論ありきの取材記事」だった可能性がある。
ただしその場合、上記論説は「抗日神劇」に批判的である、当局上層部の意向を反映したものと、読み取ることができる。
と言う。

つまり、当局上層部は「抗日神劇」に批判的である、ということ。

どういう意図で「抗日神劇」に批判的であるのか分からないが、根拠無き安直な「抗日神劇」に批判的であるのなら、支邦はまだまだ伸びる国だと考えるべきだろう。

愛国心と冷静な分析が重なることは理想である。そういう国は安心してみることが出来る。それが敵国とすれば本当に恐い国だ。この記事によると、狂信的反日と冷静な上層部の分析が支邦にはある。ということかも知れない。これが日本の最大の関心事で、その場合、時間は支邦に優位に流れ、我が国は亡国の危機を迎える。狂信的反日の大衆と狂信的上層部の場合は、時間は我が国に優位にながれ、支邦は内部より崩壊する。

私は支邦と我が国の対立をあおっているのではない。皆さんも我が国の立場ということを全て捨てて、支邦の政策や軍の武器の内容、基地の配置や行動が意味するところを探られたら良い。日米の排除とアジアにおける覇権の確立という危険な結論が浮かび上がるし、それを阻止しようとしない日本の存在がアジアに危機を招いていることも透かして見えてくる。それが日支の現実で、そこから日本の防衛政策や対支邦政策を見ると意味の無い事なかれ主義の日本がハッキリと見える。ところが、井の中の蛙の戦後日本によると日本が間違っているから支邦が日本に対して怒っているとなる。そんなことがあるものか。支邦は日本が日本である限り永遠に怒るのだ。彼らは日本が消滅して怒り続ける。

反戦反基地闘争というものが何を意味するか。国家認識や軍事知識を全く欠いた、敵国語禁止の平和論が巷に溢れ、尖閣が狙われている沖縄で、父祖から受け継いだ沖縄を守れていう議論が沸き起こらず、逆に沖縄に米軍が集中し犠牲になっていると言う。冷静さどころか無知蒙昧の論が沖縄を席巻している。哀れというほかない。

人種偏見がまかり通った時代、植民地では大衆が完全独立に反対し植民国家としての独立を求めたことがある。白人が有色人種を支配するのが文明だと言われた時代にあって、その言われ無き人種偏見が白人にも有色人種にもすり込まれ(=洗脳)により、植民地では自分達は自分の足で立っては駄目なのだという感情が植え付けられていたのである。今から考えれば本当におかしいのだが、それと今の日本の議論と何の違いがあるか。彼らは完全に植民地根性に支配されているのである。では、宗主国は誰か。言わずもがなである。曰く、アメリカ。曰く、ソ連。曰く、中国。曰く、社会主義、共産主義。植民国日本、これを戦後体制と言う。

メディアは見ないふり、忘れたふりをしているが、昔、「祖国ソ連」と言った者たちがいた。「アメリカの核は悪の核で、ソ連の核は正義の核」と言った者たちがいた。その人間達は何処へ行ったのか。広島や長崎の反核運動、平和運動に流れて生き延びたのではないのか。「北朝鮮は地上の楽園」と言った者たちがいた。300万の仲間を粛正をなし、三千万の国民を飢え死にさせた支邦を見ないふりをして褒め称えた者たちがいた。三百万の国民を殺したと言われる(諸説ある)カンボジア共産党。あの時あるメディアが「カンボジアで社会主義の新たな挑戦が行われている。」と伝えた。彼らは何故そんな嘘を伝えたのか。反戦運動、反基地責任を煽るメディアに彼らと同じ嘘を感じるのは私だけだろうか。そんな井の中の蛙の嘘を何故当たり前のこととして繰り返しているのか。それは社会主義というものが無意識の価値判断の基準になっているからだろう。その無意識こそが完璧な洗脳なのである。

日本国民は民主主義という名前だけに酔っているのである。酔わされていると言っても良い。民主主義は単なる国民主権ということでは無い。国政の判断を国民の意志にゆだねるということだ。つまり民主主義とは、国民が己の感情や価値観だけで判断するのではなく、日本と世界の現実と全体像が見えること、国家とは何か、人間社会とは何か、人類にとって真実とは何かという人間を貫くものの価値観を理解していなくては成立しないのである。国民は為政者としての知識と感覚を求められるのだ。たからこそ個の覚醒が求められるのだ。

その為には最低限、国民個々が日本国と政治を神聖なものとしてとらえなくては何も始まらない。ところが、日本の民主主義は全く逆である。「自由」という名の下に日本を憎み祖先を卑しめる価値観を強要され、個人の欲望のまま感情のままに動くことが「自由」とされている。その結果、自己中の判断が政治にまかり通っている。政治は己のためにあるのではなく、日本人全体のためにある。即ち、国民1人1人が為政者としての自覚を求められるのが民主主義である。

自己が過去を含む全ての日本国民によって生かされているという感謝と愛を知る者。それが日本人である。それを実践する者が為政者である。民主主義は国民全員に為政者たるの意識を求めるものなのだ。そうでなければ民主主義は成立しない。それを見失うと民主主義は悪魔のささやきに負ける弱さ・欠陥がある。民主主義の欠陥は、「愚衆政治に陥ること」と「全体主義国家を誕生させること」である。だから真実の探求が大事なのだ。自由はその為のものだ。今の日本は政治家までが欲望と感情に支配され、どんどん退化して愚衆政治にふけり、国民を指導する役割を放棄している。支邦とは違う意味でそれ以上に腐敗しているのが今の日本なのである。

支邦の存在を考えた時に、今の日本では時間と共に不利になる。生存の道はどんどん絞られていく。沖縄に関するメディアの論調を俯瞰すれば、アメリカへの従属から支邦への従属に転換せよということにある。彼らが沖縄駐留米軍を批判する理由はそれだ。

それにしても、アメリカへの従属か支邦への従属かという議論ばかりで、日本よ独立せよ、自由を獲得せよ、という議論のない現状は、国家として狂っているとしか言いようが無い。そんな議論が世界の如何なる国でなされているだろうか。両者の議論は要するに、日本が独立すれば間違いを犯すということである。世界を見回さずともこの議論が狂っていることは明白であろう。何処の誰が自らを信じずして生きていけるのか。個人で言えば「天地間に吾在り。吾何者ぞ。」が人間である。日本国民が日本国と日本国民である自己を信じ、日本人たる吾を追求せずして己の生きる道が何処にあるのか。その祖国日本を信じないという腐った根性を発生させているのは日本国憲法である。憲法前文を読んでその意図がどにあるかを読み解くことは難しいことでない。日本を否定しながら日本国憲法と名乗る嘘。その嘘が日本と国民を狂わせている。戦後体制とは日本を連合国の植民地国家となした体制のことである。己を信じず、天を信じない者には未来はない。腐った民主主義を断ち切り、祖国日本という心(価値観)を回復すること。ここに日本国と日本国民の生きる道がある。そして世界を真実に導く道もである。
 
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