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暴言・烈言 「憲法9条平和主義論に虫ずが走る」


暴言・烈言 「憲法9条平和主義論に虫ずが走る」


甚だ申し訳ないけれども、暴言を吐かせて戴く。

 

私は憲法9条平和主義論に虫ずが走る人間である。それは憲法9条平和主義論が「奴隷の平和論」だからだ。「奴隷はお前たちだけで良い。日本国民を巻き込む な。お前らの言う平和は悉く偽物だ。」と心の憤りが沸き上がるのである。建国二千六百七十五年の我が国には生命がある。それが我が国の主体的意思だ。それ を日本文明とか日本精神とも言う。國體とも言う。日本の歴史は私たちの魂の根源だ。奴隷には主体的意思がない。己の魂がない。支配者は決して奴隷に自らの 意思を持たせない。奴隷に魂を持たせたら支配者は全てを失うからだ。彼らは真実も自由も開かれた世界も見せることはない。そして奴隷にこう言わせるのだ。 「自分は間違っている。あの支配者様に従うことが人間としての本当の誇りある生き方である。あの支配者様と共に生きられる自分の人生は何と素晴らしいこと か。」と精神を奴隷にするのだ。これが憲法9条平和主義論の言っていることだ。

 

戦後70年。ちょっと歴史に興味があるなら、この憲法が占領軍の作成したものの翻訳であることは誰でも知ることかできる。知らないとしたら真実を知る意思 が無いからだ。知らないように教えられているからだ。知った上で、「誰が作っても良いものは良い。」と言うのが憲法9条平和主義者だ。土の上に投げ捨てら れた食べ物を「こんなに美味しい食事はこの世にない。有り難い。感謝して食べさせて戴きます。」と言っているのである。人間なら犬と同じになるな。土に放 られた飯は食うな。それが人間のプライドである。「何を貴様。人間である俺に犬のように這いつくばって食えと言うか。俺はお前に養われた豚ではないぞ!」 と何故言えぬ。「俺はアメリカの奴隷ではない。貴様が作った憲法は拒否する。」と何故言えぬ。「俺は社会主義や共産主義の奴隷ではない。貴様らが政権を盗 るために作った平和は拒否する。」と何故言えぬ。日本国民が平和憲法を有り難がるのは彼らに飼い慣らされたからだ。日本国民は精神が奴隷になっているの だ。

 

この憲法に日本国と日本国民を守る意思はない。この憲法はアメリカを守るために作られたものだ。アメリカを守る為に日本と日本人を飼い慣らそうとしている のがこの憲法であり、憲法9条平和主義者たちはそれを利用し国民を真実から遠ざけ国民を自分のために利用するものだ。彼らが誠を尽くす相手は日本ではな く、かつてはソ連であり、今は中国(中華人民共和国)であり、社会主義や共産主義のイデオロギーである。日本も日本人も何処にもない。そんな連中に日本人 全体が引きずられている。笑い話である。狂った精神、腐った魂の輩に1億人の人間が引きづり回されているのだ。

 

今の日本は独立国家ではない。今の日本には人間としての自由も誇りも尊厳もない。憲法9条平和主義者は、「護憲」「護憲」と言いながら、 天皇陛下を重ん じるつもりはこれっぽっちもない。日本国を愛することも忠誠を誓うつもりもない。彼らはつまみ食いするだけだ。人間として腐っている。その立派な平和憲法 を作ったアメリカ軍を尊敬もせず、人殺しは日本から出て行けという。そんな連中が日本を闊歩している。闊歩することを許している。この憲法の「自由」と 「平等」に込められた嘘がこれを許しているのだ。この「自由」と「平等」に、反憲法の我々ですら毒されているのが現実なのだ。「無意義の善悪は共に悪」を 忘れてはならない。

 

独立した人間なら、たとえ如何に立派な人間であろうと、我が家の家訓は他人には書かせない。書かせるのは人間として間違いなのだ。相手が孔子であっても仏 であっても他人が書いた憲法は憲法と認めない。足らずと雖も己の字で、己の魂で書くのが憲法だ。孔子が他人から家訓を書いて欲しいと言われたら、必ず「憲 法は自分の手で書きなさい。」と言うだろう。仏なら無言だろう。「あなたは私に何を教わっていたのですか。」と自発の知を待つだろう。平和憲法論は負け犬 が勝者に腹を見せて「平和憲法」「平和憲法」と身をくねらせているようなものだ。奴隷が「どう、ご主人様私立派でしょう」と得意がって尻尾を振っているよ うなもの。精神的独立のないところに「真の平和」は一瞬たりともない。精神的自由は「愛」を必然とする。それは「日本への愛」であり、「日本人であること のプライド」である。愛があり、プライドがあるから本物の反省があるのだ。「平和憲法」論者には祖国日本への愛はない。日本人であることのプライドもな い。彼らが本物の反省をしているを見たことが無い。国民をたぶらかす嘘なら見聞きしたことがある。

 

今の憲法はアメリカの唯物主義で書かれたもの。宗教家の憲法9条平和論は物心を超越した所にある宗教が物に屈したものである。これほど虫ずが走るものはな い。「人類の最高規範として憲法九条がある。」とか「『殺し合うことなかれ』それがすべての法と宗教に共通する一大事です。」と言う者がある。宗教の立つ 所は人間の本質や永遠の生命だ。宗教と現世の接点が「殺し合うことなかれ」であってたまるものか。そんなもの人を煙に巻いてだまくらかす詐欺の常套手段で ある。

 

憲法9条平和論は愚の骨頂。嘘っぱちである。無意義の善悪は共に悪。法は国民の為すべき現世の規範であり、宗教は人間の根源を説いたもの。法は現世で国家 であり、宗教は永遠であり真理である。法は物で宗教は心と言っても良い。横糸と縦糸と言っても良い。法は現世だから浮き出る模様だ。宗教は縦糸だ。永遠だ から人の目には見えぬ。だが縦糸が切れれば全て崩壊する。

 

「殺し合うことなかれ」が一大事とはちゃんちゃらおかしい。「武力で平和になった国や社会をご存じでしたら、ご紹介ください。平和は平和な人々の平和な暮 らし方で実現できます。」とは恐れいる。人間は「殺し合う」どころか己が生きる為に他の生命を一方的に殺戮しているのが実体。しかも「旨い」と言って満面 笑顔になり、「まずい」と言っては顔を歪める。この人間の残酷さは何ですか。「殺し合うことなかれ」が一大事なら、「他を一方的に殺すことは更なる一大 事」ではないか。「他の生命を殺戮せずに人間になった者をご存じでしたら、ご紹介ください。平和は敬愛の暮らしによって実現される結果でしかありません。 人類は常に発展途上。平和のみが存在することは永遠にない。」のである。今の「戦争がない=平和」は為にする嘘である。「他の命を否定してはならない」が 「人類の最高規範」なら、「人間は一刻も早く死ぬこと」が人類の最高の規範である。それなら神は何故に人間を生んだのであろう。私には「殺し合うことなか れが一大事」とは、人間の現実、そしてその業、人間に生まれた悲しみを知らぬ無知者の言と聞こえる。そこに生死を超えた生命の真実における人間救済の意思 を感じぬ。

 

「人類の最高規範として憲法九条がある」に至っては呆け者の言。第九条平和主義者のどこに「人類の最高規範」を知る者の姿があるか。あの戦争法案反対のデ モの後の汚さはなんですか。安保法案審議の後の議場のプラカードの散らかしようはなんですか。「人類の最高規範」を知る者の通った後は汚物の山ですか。

 

中途半端な人間が「合掌」などと書くんではない。「合掌」は己の無知を隠す道具ではない。他を殺戮してしか生きていけない人間の悲しさを知る者がなすのが「合掌」である。

 

と、暴言を書き連ねました。色々書いているが、偽物と弾劾しているのは一人の平和主義者ではない。全ての偽物平和主義者だ。罪深き人間の無知な暴言は地獄への門です。が、偽物「平和主義」を巻き込んでの地獄行きならこの世の塵芥の掃除。喜んで地獄に行かせてもらいます。

 

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