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人間の心を忘れた小学校の英語必修 
 この度中央教育審議会の外国語専門部会が、小学校の五年から英語を必修化すべきだという報告書をまとめた。既に公立小学校全体の93・6%が現在、英語活動を取り入れているという。「総合学習」の時間が主であるが、教育特区によって国語などを除いて一般の授業を英語で行っている自治体もあるようだ。小学校の英語教育必修化に66・8%の保護者が賛成だという。

本当にこれでいいのだろうか。 

 あいた口が塞がらぬとはこのことで、呆然としてしまった。かかる記事を読んで、日本の教育はどうなったのか思っているのは私一人ではあるまい。子供達の心は物ではない。生きた生命あるものである。中央教育審議会の外国語専門部会の報告は子供の心を置き去りにしたもので甚だいかんである。この様な教育姿勢を許していては子供達の心は一人前の人間として形成されず、頭でっかちの他人の心を知らぬ人間となるほかない。このままでは日本は必ず退廃し内部より崩壊する。

言葉は生命在るもの、日本語は国民の人間としての生命を育む大切なもの

 記憶違いかも知れぬが、英語の国語化を最初に称えたのは明治初期の森有礼であったと思う。日本の国際化の為には英語の国語化が必要だと主張されたのは一度でない。戦後もその動きがあった。日本語を悪者となし、日本人が野蛮なのは日本語のせいだとして、英語を取り入れようとする一部の動きがあった。
 戦後、言葉が軽率に扱われている原因の一つは、言葉を単なる意思の伝達手段とする流れが教育界や学会の主流となったからで、今回の小学校での英語必修化はこの流れの上に立つものであろう。
 だが、言葉は単なる意思の伝達手段ではない。私達の人生の目的が自己実現にあるならば、言葉は人間としての魂を育むものであり、いわば子供らの生命の母である。そのことをこの報告書は全く理解していない。子供達に最も必要なことは人間としての心を、魂を育てることである。言葉は生命。生命を育てるのは生命のみ。自己の人間としての生命は生命ある言葉により育まれる。誰が魂のある英語で子供を育てることができるのか。日本人は日本語で人間となり、英国人は英語で人間となる。それは善悪を超えた人間の真実である。その人間としての魂を育てることが義務教育の全てに優先する第一義のものではないか。
 一部の教育特区のように、日本の子供らに人間としての魂を育てる日本語を捨てて、意思の伝達手段としての英語で一般の授業を行えばどうなるか。ちょっと考えれば分かることだ。人間の魂無くして一体何を伝えるというのか。魂を持たぬ言葉だけ達者なあわれな日本人を作ってどうしようというのか。
 日本人は世界の発展途上国の心の痛みを知っているのだろうか。母国語で教育をできず、母国語の教科書を持てず、西洋の言葉を借りて国民を教育せねばならなかった悲憤の歴史を知っているのだろうか。母国語に誇りを持てない国など、堂々たる独立国家ではない。教育関係者は、子供達と一緒に、自分の祖国に誇りを持つこと、日本国のことをもっと知ることを、一から学ぶべきである。
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